《Channel Buoys (澪標)》 《Then came the long rains of early summer to lay a pall over things》… and bring a respite from his duties. He roused himself for a visit. Though she saw little of him, the lady was completely dependent on him; but she was not of the modern sort, given to outpourings of resent ment. He knew that she would not make him uncomfortable. Long neglected, her house now wore a weirdly ruinous aspect. As usual, he first looked in on her sister, and late in the night moved on to the lady's own rooms.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。帝国軍艦集・海軍編集部・昭和3年・光輝ある海軍の意義精神に就いて知らなくてはならぬ/軍艦写真帖・昭和10年・海軍協会東京府支部/2冊。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。北亞墨利加小舶之圖 マンハッタン號 筒井肥前之守(筒井政憲)舊藏 幕府御用繪師畫。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。●俳諧書●『俳諧糸切歯』上下巻揃い 宝暦12年刊 ワクカセ輪再註糸切歯 千葉春耕編 俳句●古書 和本 江戸時代。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。Larc en Ciel ラルクアンシエル 15th CHRONICLE BOX + LE-CIEL BOXX 10周年記念 復刻ファンクラブ会報ボックス Tシャツ付き 送料無料。現在の今上天皇と系譜がつながっている。絵本堪忍記。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。即決1690(元禄3)年『ホキ日用大成=ホキ校暦傳 5冊』アンティーク江戸期和本天文暦学書、卜占、古暦、歴史民俗学、安政ドナチ彗星出現図。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。地方落穂集 第十三 切支丹史料十六条目 キリシタン史料 江戸後期寫。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。原田道義著 歌川広重口絵『東京開化繁昌詩選』明治7年序 須原屋伊八刊 明治時代和本 漢文 漢詩 漢詩文。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。堀田葦男編『新編反故草子』(4冊)昭和19年 江戸時代和本零葉集 西鶴本を含む寛永期以降の仮名草子・浮世草子・洒落本・人情本など計119枚。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。西国三十三所観音霊場記。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。謎なぞ春の氷 初編。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。昭和13年 白蓮庵詩鈔 蓮井知城 蓮井露香 尾形楓峡 非売品 中川成秀 章齋山人 中川泉三 検索: 伊吹山房 線装本 和綴 漢詩 漢学者 書道家真作。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。新吉原 仮宅獨案内 袋附 慶應二年頃刋か。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。国立北平故宮博物院 宛委別藏 五服図解 影元至治本 線装本 唐本漢籍 検索⇒古籍 善本 木刻 木版 武英殿本 聚珍版 宋版 内府 彫版 支那 花箋。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。各務支考(蓮二房)編『本朝文鑑』(全九巻首一巻五冊揃)享保3年 野田治兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句。また、各巻ごとの書かれた年については不明。復刻 日本古典文学館(特装版) 国宝 日本書紀 巻第廿ニ 推古 限定340部」ほるぷ出版 (管理93243311)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。柳田泉旧蔵書 正司考祺輯録『武家七徳』(全十八巻十八冊揃=前編十巻十冊+後編八巻八冊)嘉永5年序刊 江戸時代和本 近世木活字本 経世書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。関宿藩領関宿江戸町古文書河川関係●1873年 デレーケ氏柴工水刎 全 26丁 下総国東葛飾郡関宿江戸町 現在の千葉県野田市 221010。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。徳川政談 遠山両面鑑・淨瑠璃坂・國定忠治・延命院春雨傘・小堀騒動 八百屋お七 徳川政談第百編(末尾)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。垂加社の由来/昭和7年/山崎闇斎先生が晩年に自らの心神を祀り高弟の出雲路信直に託し最終的に末社猿田彦社の相殿に垂加社として合祀された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。h∞∞ 頭書 増補和歌題林抄 1巻~10巻 不揃い 10冊セット 11巻欠け 古文書 古書 発行年不明 /C05。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。B < 宝生流謡曲本 78冊セット > 宝生九郎 謡本 明治 古典芸能 伝統芸能。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。俳諧 其傘。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。森本儀太夫 加藤家十勇士 玉田玉秀斎 立川文明堂 明治 木版画。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。千宗茶湯會席 千利休・羽柴秀吉・豊臣秀吉・古田織部。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。1924年 支那当代新人物 検索: 中華民国 蒋介石 軍閥 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 呉佩孚 古建築 総督府 汪精衛 溥儀 宣統皇帝 蔡元培。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。通俗插画 小學外史 五巻 小林清親画。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1937年 號外 蒋介石 何応欽 蘆溝橋 支那事変 検索: 中華民国 汪精衛 関東軍閥 憲兵 国民党 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。f22092012〇明治布告布達 海兵隊服制 下 砲兵曹長礼服 常服略服 夏服 明治6年〇和本古書古文書。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【R】D3◆超希少◆ 皇族御写真帖 当時物 天皇陛下 日本政治 貴重品。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。蒐集家のコレクション 村上金次郎 軍事郵便 レターパックライト可 0501Q7h。第14帖。鈴の屋翁十二ヶ月短冊集 本居宣長。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。馬占山氏 生写真 検索:支那 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 土匪 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 馬賊 事変。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。■送料無料■ 事務日誌 西八代郡 大河内村 役所 明治11~12年 山梨県 現:南巨摩郡 戸長 書役 資料 文献 古書 古文書/くYUら/HH-2147。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。清朝 木版水印 花箋 秀文齋 周少白 漢文 古籍 唐本 漢籍 支那 玉扣紙 善本 線装 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府 石涛 徐渭。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。新板 曽呂里はなし 怪異小説の一源流 怪談 曾呂里物語。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。上州路 史跡篇 昭和28年発行。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。輿地誌畧一巻ヨリ三巻、二編一ヨリ四巻・七冊【総論支那印度土耳古東印度諸島・二編欧羅巴、絵入川上冬崖、模画】内田正雄、明治七年。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。『諸国案内旅雀』(8冊セット)享保5年和泉屋山口茂兵衛梓 江戸時代和本 絵入本 地誌 古地図 旅案内 諸国旅雀。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。1920年 近代支那史 検索:絵本 挿絵 絵図 太平天国 義和拳 白蓮教 鴉片戦争 乾隆帝 康煕大帝 大清帝国 西藏 生写真 古建築 紫禁城 故宮 清朝。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。市川白猿 追善數珠親玉 立川焉馬著 豐國・鳥居清長・尻焼猿人(酒井抱一)・菱川宗理・辰齋・葛飾北齋他画 市川團十郎。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。万延元年 江戸時代 和本 和歌の本 短冊 書 写本 貴重資料。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。清地以立著『詩聯大成以呂波韻』(全2冊揃)元禄12年池田弄華軒刊 江戸時代和本。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。0032293 三国名勝図会 全5冊揃(本4+索引1) 原口虎雄・監修 青潮社 昭和57年 薩摩国・大隅国・日向国 定価6万円。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。日本刑法治罪法講鮮大全 明治16年 法律法学 六法全書 戦前 明治大正 古書和書古本 P。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。沖永良部島民俗誌/柏常秋・柳田国男/昭和29年/時代の推移と共に滅び行く習俗の多いのが惜しくこれを収録しておくことの必要が痛感された。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。1921年 四王惲呉山水合冊 珂羅版 唐本漢籍 検索:玻璃版 原色 支那 印譜 法書帖 金石篆刻 羅振玉 呉昌碩 拓本 張瑞図 董其昌 黄庭堅 趙子昴。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。☆E0170和本文久元年(1861)「宗門人別改帳ほか」4冊/甲斐国巨摩郡一町畑村(山梨県)/古書古文書/手書き。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。豊後國國東郡杵築藩 能見松平家家臣 金子家文書及書状類。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。子孫繁昌記。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【全17巻】 明治11年「明治新刻 日本政記」 合本4冊 大郷穆 東生亀次郎 和本 木版色摺古地図多数 資料 日本史。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。古文書 西院流 起請文 安永3年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然護摩加持修法写本印信案密印 NP。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。児玉信栄『何物語』(全3巻揃)寛文7年 田中文内梓行 仮名草子 江戸時代和本 中国思想や中国の偉人聖人の評伝など。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 書状 古文書。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。@1941年 北京観光案内 現地刊 検索:支那 事変 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 老照片 国民党 生写真 古建築 北平相片 妓女 美女 姑娘。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。稀少 1832年 天保3年 江戸時代 紙本 肉筆 書道 折帖 古書 古本 書 古美術 1911年 明治44年 親鸞聖人一代記図 まくり 絵画 日本画 セット。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。華厳遊心法界紀。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。新訂増補和蘭薬鏡。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。送料込み、明治26年版。江戸時代の信濃・長野の郷土解説「千曲之真砂」全10巻5冊、 瀬下敬忠。長野の多くの城が図入りで解説。。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。緒方洪庵訳『病学通論』(全3冊揃)安政4年秋田屋太右衛門他刊 西洋医学書 医書 江戸時代和本 蘭学者/蘭方医。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。筒井肥前守候自筆書画幅まくり竝交遊關係所藏書画幅 大量一括 天保期~安政6年。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。一条兼良著『源氏物語諸巻年立 上』江戸時代和本 湖月抄系の版本 平安文学。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。清輔袋草紙。》
《しけ(繁)く、所》・・・・せ(狭)き御身に、おほ(思)しはゝか(憚)るに
そ(添)へても、めつらしく御め(目)おとろ(驚)くこと(事)のなきほと(程)、
思ひしつめ給ふなめり。s▲* 江戸期 絵入り 相撲 和本 題名不明 番付有り(10点) 天保9年 19丁 木版 和本 古書 和綴じ 紐閉じ / F64。五月雨、つれつれなるころ(頃)、おほやけ(公)わたくし(私)物
しつ(静)かなるに、おほ(思)しおこしてわた(渡)り給へり。1942年 大陸の断想 初版 限定1000部 検索: 支那 蒋介石 関東軍 陸軍閥 国民党租界 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 風景 中華民国。
よそなからも、あ(明)けく(暮)れにつけて、よろつにおほ(思)しやり
とふらひきこ(聞)え給ふをたの(頼)みにて、すくいたま(給)ふ所なれは、
いま(今)めかしう心にくきさま(様)に、そはみうらみ給ふへきならねは、
こゝろ(心)やすけなり。陰陽行儀 三元十八神道次第 文化八年 神道管領長上卜部朝臣良連 黒漆(内側朱漆)塗箱入り。としころ(年頃)に、いよいよあ(荒)れまさり、
すこけにておはす。非売品 ★青厓画譜 山下青厓 昭和3年発行★和本。女御の君に御物かたり(語)きこ(聞)え給て、
にし(西)のつま(妻)・・・・《と(戸)には》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。1909年 国民 画鑑 図録 検索⇒浮世絵 仏画 絵本 美人絵 明治期 原色版 写真 図鑑 玻璃版 山水画 南画 唐画 写真版 珂羅版 コロタイプ 支那。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君・花散里(桐壺天皇の中宮の妹)を訪問》
《源氏の君は、あれこれ政務もお忙しく、不自由な高いご身分から、
お出歩きを自重しておいでになるうえに、あちらからも目新しくお気持をひくような
お便りがないので、君(源氏の君)もそのまま腰をすえておられるようである。金工鑑定秘訣 天地巻揃 文政二年秋刋 精刻本。
五月雨(さみだれ)の所在ないころ、公私ともにお暇なので、》・・・・お思い立ちになって
お出かけになった。古本/非売品・六大(代)浮世絵師決定版「喜多川歌麿」野口米次郎著・誠文堂(1)。君(源氏の君)ご自身のお越しはなくても、明け暮れにつけて
何かとお心をくばり世話しておあげになるのを頼りとして暮していらっしゃる所である。弾正尹美仁親王 秋日詠二首和歌。
だから、当世ふうに思わせぶりをして、すねたりうらんだりなさるわけもなくて、
君(源氏の君)は気がねもなさそうである。1932年 満洲国承認写真帖 検:支那事変 中華民国 関東軍閥 蒋介石 張作霖 溥儀 帝国 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 鄭孝胥 老照片。年ごろますます荒れていって、
いかにももの寂しく過しておいでになる。徒然草諸抄大成 全二十巻ノ内第六巻(一册)欠 浅香久敬編。
まず女御(にょうご)の君(花散里の姉・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御)に
対面申しあげなさって、西の妻・・・・・《戸に、ことさら夜の
更(ふ)けるのを待ってからお立ち寄りになる。大正2年発行 武士道物語 樋渡海門 啓成社 桂川の地戦/武蔵野の露/小田原城の殉難/武田家の宿将/大阪落城の義士 etc。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。官版 海外新聞 大学南校 箕作麟祥。
《Channel Buoys (澪標)》
《Then came the long rains of early summer to lay a pall
over things》… and bring a respite from his duties.
He roused himself for a visit.
Though she saw little of him, the lady was completely
dependent on him; but she was not of the modern sort,
given to outpourings of resent ment.
He knew that she would not make him uncomfortable.
Long neglected, her house now wore a weirdly ruinous aspect.
As usual, he first looked in on her sister, and
late in the night moved on to the lady's own rooms.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
他公事很忙,身又高,行不免有所忌。即決1694年(元禄7)年『和漢名数 豆本類書』アンティーク、天文暦学書、江戸期和本天文、地理、歴史、卜占、吉凶、家畜、器服、官職、仏家。
加之花散里并无何等惹心目之,
因此不甚介。文禄四年七月十三日秀次公御切腹同八月二日若君・・ 写本。五月里淫雨,公私都很空,
寂寞无聊之,有一天他忽然想起了,便出去。忍術からスパイ戦へ/藤田西湖/昭和17年・3000部/支那事變以來幾度か特殊の軍事任務に携はり我が忍術の今日に處して最大価値あるを認識した。
源氏公子然疏花散里,然而心的一切日常生活,
花散里全靠他的照度日。中澤笳言自筆 俳諧十二律韻外 上毛那波郡中今村住人中澤笳言記。因此久重逢,
花散里度仍很切,并无怨恨之色,
源氏公子便安心。漢畫獨稽古 漢画独稽古 浪華君山子 紀藩/赭鞭舘 116-32。的屋子年来更加荒了,
住在那里想必凄凉。書簡 椿椿山 加藤先生宛。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。能代町能登屋常吉苗字帯刀御免賞状幅 奇兵隊 会津藩。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。稀少 1856年 安政3年 浄土真宗 本願寺 浄土三部妙典 お経 経本 約416ページ カバー付き。冬姫は内大臣・通誠の養女。戦時資料・13冊/南京上空の残滅敵空中戦・日本に対する強盗遠征・外蒙及新疆の近況・雲南に対する英佛の活躍・近代国防より見たる蘇連邦。
冬姫は通称。偕行社記事特号・9冊・部外秘・陸軍認可済/昭和17年/本誌は現職将校の爲軍事研究の重要なる一機関紙にして?容中秘に互る事項砂からず。正式な名は伊達貞子。1929年 支那 旅行通 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 GHQ 禁書 風景 図版多。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。貞享五年御用番文書 戸田山城守・稲垣安藝守他 貞享五年。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。邪法宗門本朝由来記 南蛮国・バテレン・破天連。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。大日本 萬物歳時記 東都/野嵜魯文校合 假名垣魯文。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。蘭唐 眼目全書。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―15B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。医療精義 徴候篇病徴部 三巻 木活字版 南豐/石川遠明卿譯述。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。【真作】 上原勇作 龍岡篤敬宛書状 残暑~ A-145。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。仙台領地名所和歌 冷泉爲久・中院通躬他詠 正徳四年仲春季八。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。挿花美玉集 天地人巻 大露庵法橋河村一洗撰 美玉遠州流。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。1956年 絵本 連環画 孔雀東南飛 日本語 検索: 唐本 漢籍 漫画本 美術 傳説 人物絵 仕女絵 美人画 挿絵 小人書 古書 支那 中華民国 古典傅奇。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。由利公正書幅。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。1931年 支那 古書 汪精衛 蒋介石 馮玉祥 孫文 関東軍 陸軍閥 国民党 租界 生写真 革命党 孔祥熈 洋行 巡捕 満洲 総督府 張学良 支那 古建築。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。(和本)木曽路名所図会 全7冊揃 秋里籬島編 西村中和画 和泉屋源七ほか板。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。@1929年 王陽明傳習録 掃葉山房 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。即決・極稀◆「新史学」木村鷹太郎 直筆書簡(坂本辰之助宛)大正12年頃。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。野々口立圃俳句俳文俳畫巻 江戸前期の俳画の先駆者野々口立圃の真筆絵巻。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。免園雜録 高野長英 高橋元貞 蛮社の獄。撮影後、展示のために再表装をしております。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。豊大万寳古状揃 鱗形屋孫兵衛板。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。文化新撰 狂歌百人一首 六樹園撰 北尾重政画。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。覺鑁大師 孝養集 上中下巻 116-11。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。1894年 明聖真経 光緒年 木刻本 検索: 唐本 漢籍 善本 写刻 官本 筒子頁 白棉紙 巾廂本 殿本 聚珍板 経折本 木版 紅印譜 支那 宋版経 古籍。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。1933年 熱河風景 82図 承徳 避暑山荘 何應欽 黄郛 蒋介石 支那 中華民国 軍閥 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 満州事変。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。1936年 漢書 唐本 漢籍 上海大光書局 精装本 検索: 善本 宣紙 白棉紙 玉扣紙 木版 木板 木刻 套印 紅印 初版 殿本 聚珍本 漢文 漢学 漢印譜。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。趣味の絵科学・飛行機と航空船/白川稔/昭和8年/本書は面白く分り易い最新科學の教科書であるが写真図解による解?を主とし文字は従とした。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。磯まくら 冥々 乙人 東北俳壇 俳諧 俳書。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。新撰彫物画譜 小島勝美画著 彫刻。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。はいかい 如是我聞 俳諧 浮簽狂人久藏著 贅亭主人諫圃(夏目成美)校 小林一茶他。母は後水尾天皇皇女女二宮。新撰 戯子名所圖會(やくしゃめいしょずえ)三巻合本。実母は近衛家女房(瑤林院)。新版 島原軍物語 巻中(上中下巻内) 寶永元年版。幼名は多治丸。善光寺如來三國傳來物語 巻第五(大尾) 江戸日本橋/万屋清兵衛板行。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。善悪道中記 初編~六編 一筆戯作。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。春興噺萬歳 巻之一・巻之二(全五巻内)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。林子平私家板 文武兼備大學校之圖 文武兼備大学校之図。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。両兎林 中巻 栖鶴編 英一峰画 宝暦九年 稀覯俳書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。貞観政要 全10冊揃いセット(全10巻) 南紀学習館蔵 文政6年 /江戸時代 漢籍和本。
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